平成24年度 講演会 聴講記録
この聴講録は、2012年11月28日に中央区立日本橋公会堂で開催された、第2回研修会における2つの講演の内容をとりまとめたものです。
講演Ⅰ
もう一度振り返る野菜の微生物学的衛生管理 – EHEC O157の最来襲を踏まえて
伊藤 武 (麻布大学 客員教授)
平成23年にユッケや焼肉による腸管出血性大腸菌O111とO157の食中毒発生により、多数の患者発生があり、不幸にして5名が死亡した。厚生労働省はこれまでにも再三に渡り生食用牛肉や生食レバーによる食中毒防止のための啓蒙活動を進めてきたが、今回の事件を重視し、生食用牛肉の成分規格や製造基準を設定し、牛レバーについても加熱を原則とし、飲食店での生レバー提供が禁止された。食品加工場や焼肉店などの飲食店での衛生管理の推進は腸管出血性大腸菌食中毒の制御に多大の貢献があるものと期待された。
しかし今年、野菜の浅漬けを原因食品とした大規模な集団食中毒が発生し、野菜のEHEC O157による汚染がにわかに注目を集めることとなった。厚生労働省は野菜の浅漬けの食中毒に素早く対応し、各種の規制措置が早期に施行された。
これまでに発生した野菜の浅漬けによるO157食中毒の概要や汚染経路および農場における野菜栽培についてもふれるとともに、昭和56年9月24日に厚生省(当時)が通知した「漬物の衛生規範」が改定されたのでそれらの内容を紹介する。
野菜による病原大腸菌を原因とする食中毒は、腸管出血性大腸菌(EHEC)によるものが多く、腸管毒素原性大腸菌(ETEC)によるものもある。人口10万人当たりの腸管出血性大腸菌罹患率は3.4人である。ウシ、ウマなどの生食用食肉による食中毒発生状況をみると、病因物質としては腸管出血性大腸菌だけでなく、サルモネラやカンピロバクターもある。昨年、富山県などで発生したユッケや焼肉による食中毒事件を厚生労働省は重視し、生食する牛肉に対して新たな衛生管理と規格基準が設定され、営業者には極めて高い衛生管理が義務付けられた。さらに、牛レバーの内部に存在するO157を除去する技術がないことから、平成24年7月には牛レバーの生食が禁止され、加熱を要するものとして販売されることになった。
野菜の腸管出血性大腸菌汚染
家畜や野生動物が保有する食中毒細菌の圃場への汚染は、堆肥、灌漑用水などを介してなされると考えられる。EHECは反芻動物(ウシ、ヤギ、ヒツジなど)と牧場に侵入する野生動物(ウサギ、シカ、野鳥、アライグマなど)が保有しており、ウシにおけるEHECの検出状況は、O157が15%程度、O26が1~2%で、夏季に検出率が高くなる傾向にある。またO157は環境中でも長期間生存でき、野菜を対象とした平成20~22年の全国調査では、EHECは検出されていないものの、サルモネラ属菌がカット野菜やもやしから検出されている。野菜漬物によるEHEC O157食中毒は、カブの浅漬け、和風キムチ、キュウリの浅漬け、白菜の浅漬けを原因食品とする発生が報告されている。
浅漬けによるO157食中毒を踏まえ、①O157汚染源の解明、②野菜の洗浄・消毒方法、③浅漬け中での菌の増殖、などについて考える必要があり、平成24年10月の「漬物の衛生規範」の改正につながっている。
外国における野菜での食中毒発生を見てみると、昨年、ドイツを中心とした欧州で発生したフェヌグリークを原因食品とする事件では、患者数約4,000名のアウトブレイクとなっている。この食中毒はベロ毒素の他に腸管凝集性大腸菌の病原因子を保有するO104:H4によるものであった。また、米国においても農産物によるO157食中毒が毎年発生しており、対策が進められている。
野菜における腸管出血性大腸菌O157汚染
生野菜の病原菌汚染は、O157やサルモネラ属菌、リステリア、赤痢菌などが考えられ、国内の食中毒菌汚染実態調査(平成10年)では、アルファルファでサルモネラ属菌が検出されている。またカット野菜、スプラウトの一般生菌数は夏季に高い傾向であり、農林水産省の生食用野菜(レタス、キャベツ、ネギ、トマト、きゅうり)の調査では、病原微生物の検出は認められなかったものの、大腸菌汚染があるとの報告が出されている。
水耕栽培の衛生管理
水耕栽培における微生物学的危害としては、①種子を汚染する可能性のある病原菌、②環境や水を汚染する可能性のある病原菌、③自然環境で長期間生存できる病原微生物があり、O157やNon O157のEHEC、サルモネラ属菌、リステリア、毒素原性大腸菌、エルシニアなどが挙げられる。農林水産省のマニュアルでは、水耕栽培圃場における衛生管理として、①種子の保管、②種子のすすぎ、③種子の除菌、④発芽前の種子の浸種、⑤発芽、⑥収穫、⑦最後のすすぎ、⑧製品の保管・輸送、の各段階について対策事項をまとめている。
講演Ⅱ
質量分析装置MALDI-TOF MSを用いた微生物の簡易・迅速同定
尾島 典行 (島津製作所)
内田 和之
(シスメックス・ビオメリュー)
内田 和之 (シスメックス・ビオメリュー)
マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)-飛行時間型(TOF)-質量分析計(MS)を用いた微生物の簡易かつ迅速な同定技術について2名の演者から講演があった。尾島先生(島津製作所)には、本法の原理と細菌同定への応用および実績を、内田先生(シスメックス・ビオメリュー)には本法を用いた微生物同定の要となるデータベースの構築と製品化についてご講演をいただいた。
【 尾島先生のご講演 】
1.MALDI-TOF MS微生物システムの概要
MALDIとはマトリックスという試薬と試料を混合し、これにレーザーを照射することによって試料をイオン化する手法である。この際、試料分子を壊すことが少ないため、生体高分子などの不安定で巨大な分子量をもつ物質にも適用可能とされている。また、この方法は他のイオン化手法と比べて夾雑物が多い試料でも目的分子をイオン化できる特徴を持っている。
TOF‐MSとはイオンに同じ極性の電荷を加え、その斥力によって飛び出したイオンが検出器に到達するまでの時間によってその質量を測定する手法である。質量の小さなイオンは速く、質量が大きなイオンほど到達が遅くなる。この時間差を利用してイオンの質量を測定していく。
このMALDIとTOF‐MSを組み合わせたMALDI‐TOF‐MSは測定可能な質量範囲が広いため、適用可能な化合物が多い。また、不純物の多い試料からでも分析が可能なため、未精製試料の解析も可能である。
用いる装置についてはメンテナンスをそれほど必要とせず、操作が簡単であるという特徴がある。従って、MALDI‐TOF‐MSを用いれば細菌の直接分析が可能となり、簡易で迅速な微生物の同定が期待できる。
2.製品の特徴
微生物同定システムでは、サンプル調製は純培養の細菌集落をサンプルスライド上に塗布し、マトリックス溶液を添加し、自然乾燥を行うだけで測定ができ、測定開始から2分程度で結果が得られる簡便で迅速なシステムとなっている。
この方法で微生物を解析すると、主に細胞の中で安定に存在するリボソームタンパク質(16S‐RNA産物)が種によって位置、高さの異なる特徴的なピークを有するマススペクトルを得ることができる。そこで既知の微生物のマススペクトルをデータベース化しておけば、実測したマススペクトルとデータベース中のマススペクトルと比較することで、その微生物種を同定することが可能となる。
東京海洋大学の木村教授らの応用実施例では、分離源の異なるListeria monocytogenes (Lm)15株と他のListeria属菌5菌種を用いてMALDI‐TOF‐MS解析を行い、系統樹を作成した。その結果、Lm15株は単独のクラスターを形成し、他の種とは完全に分離されたため本手法はLmの同定に使用可能であることが明らかとなった。
3.新たな取り組み
食の安全で求められる分析装置の性能としては、菌の同定だけではなく、その菌の特徴や由来など、菌株ごとの識別が求められることが多い。特に疫学解析等を行うためには株レベルでの識別が必須となっている。しかし、現在のMALDI‐ TOF‐MS解析においては属および種の識別までが可能であり、株レベルまでの識別はできていない。
そこで、名城大学の田村先生らとの共同研究を行い、同定に適したリボソームタンパク質の選抜を行い、S10‐GERMS法を開発した。今後はMALDI‐TOF‐MSを用いた株レベルでの解析の精度の向上に務めていく予定である。
【 内田先生のご講演 】
シスメックス・ビオメリューは、これまで細菌同定キットや装置のパイオニアとして、アピ、バイテック等の細菌同定に係る試薬や装置などを販売し、多くの利用者から支持をいただいている。
そして、MALDI‐TOF‐MSの技術を基礎とした「VITEK MS」を発売した。
MALDI‐TOF‐MSによる微生物同定の特長は、①革新的な迅速性を有していること、②主にリボソームタンパク質をターゲットとしているため16S‐rRNA遺伝子配列を基盤とした遺伝子シーケンスによる細菌同定と最も近い解析が行えること、の2点があげられる。本手法を発売するにあたり、検査室でのルーチン試験への適用に向けての解析精度および使い勝手の向上を重要なポイントとして考え、高精度かつ幅広いデータベースの構築、簡易な操作ソフトの開発、さらには使用施設でのデータベースの構築を可能にすることを念頭におき、開発を行った。
データベースを構築するうえでより多くの微生物種が登録されていることが必要となる。1菌種について1株程度の情報を登録するだけであれば、データベースの構築は容易であるが、菌株の持つ背景状況や培養手技の差などが考慮されないため、精度の低いものしかできないこととなる。そこで、今回開発したデータベースでは、「厚みのあるデータベース」をコンセプトに、1菌種についてできるだけ多くの菌株から得られた情報を登録した「集団ベースでのデータベース」を構築することとした。
標準菌株、菌株保存機関が保有する菌株、フィールドからの分離菌株など、分離の由来や地域などの異なる既に同定されている菌株を1菌種につき10株以上を用いた。さらに、それら菌株から得られるスペクトルに影響を及ぼす可能性のある因子として、白金耳、測定機器、作業者、培地、培養時間等の条件を変えて、複数の異なるスペクトルデータを30,000以上登録することで、高い同定精度と誰でもどこでも同じ結果解析結果が取得できるデータベースを構築した。
対象とした菌種は医薬品、食品、環境および臨床検査分野の菌種を中心に細菌645菌種、真菌110菌種の合計755菌種とした。今後も定期的にデータベースを更新していくことにしている。さらに、装置の利用者が自分のデータを容易に追加できる仕組みや2,000以上の菌種データをもつSARAMISデータベースも利用できるシステムを今後搭載する予定である。
また、使い勝手の良いソフトとしては、少ない操作で解析ができ、同定結果をひと目で判定できるソフトを開発することに成功している。
MALDI‐TOF‐MS 微生物同定システム「バイテックMS」は、同定対象菌種に対し合計で30,000以上のスペクトルを有した755菌種を含む厚みのあるデータベースを搭載しており、優れた同定精度と簡易な操作で迅速に結果の得られる同定システムである。