今回は、豊福 肇先生(国立保健医療科学院 国際協力研究部)に、「生食用食肉(牛肉)における腸管出血性大腸菌及びサルモネラ属菌のリスク評価について」をご執筆いただきました。先に掲載しました定期通信第10号「生食牛肉の規格基準の科学的背景と腸内細菌科菌群試験法の採用まで」(五十君 静信先生)と対をなすものですので、合わせてご覧下さい。
生食用食肉(牛肉)における腸管出血性大腸菌及びサルモネラ属菌のリスク評価について
豊福 肇
(国立保健医療科学院 国際協力研究部)
2011年4月下旬、富山県、福井県、神奈川県などで、ユッケ(生食で提供される牛肉)を原因食品とする腸管出血性大腸菌O111による広域集団食中毒事件が発生し、5名が死亡し,まだ入院中の患者もいる。平成10年、厚生労働省は生食用に供される食肉に対しては、「生食用食肉等の安全性確保について」(平成10年9月11日生衛発第1358号。以下「衛生基準通知」という。)により生食用食肉の衛生基準を示し、事業者における適切な衛生管理を指導してきたが、衛生基準に強制力がなく、事業者において十分に遵守されていなかったことが明らかになった。衛生基準通知では、生食用食肉の成分規格目標として、生食用食肉(牛又は馬の肝臓又は肉であって生食用食肉として販売するものをいう。)は、糞便系大腸菌群(fecal coliforms)及びサルモネラ属菌が陰性でなければならないと規定されていた。
今般の飲食チェーン店での腸管出血性大腸菌食中毒の発生を受け、厚生労働省は、生食用食肉に関して罰則を伴う強制力のある規制が必要と判断し、本年6月28日及び7月6日に開催された薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食中毒・乳肉水産食品合同部会において、規格基準案の設定について審議を行った。
その結果、生食用食肉の規格基準案については、
- 対象食品を牛肉とすること
- 対象微生物を腸管出血性大腸菌及びサルモネラ属菌とし、腸内細菌科菌群(Enterobacteriaceae)をこれらの指標とすること
- 2.の対象微生物汚染低減のため、原料肉の加熱殺菌等の加工基準等を設定すること
が了承されたことから、厚生労働大臣は、食品安全基本法(平成15年法律第48号)第24条第1項第1号の規定に基づき、食品安全委員会に食品健康影響評価(以下、「リスク評価」という)を要請し、その結果を踏まえ、食品、添加物等の規格基準の一部を改正する件(平成23年厚生労働省告示第321号)が9月12日公布され、食品、添加物等の規格基準(昭和34年厚生省告示第370号。以下「告示」という。)の一部が改正され、生食用食肉の規格基準が新たに設定され、10月1日から施行された。
今回の食品安全委員会によるリスク評価は次の点でちょっと変わったケースといえる。
1)厚労省において、簡略なリスク推定に基づき、規格基準案を提案されたこと
2)極めて短時間に回答が求められたこと
食品安全委員会は平成22年4月に作成された牛肉を主とする食肉中の腸管出血性大腸菌のリスクプロファイルにおいては、「牛肉及び牛内臓肉を生又は加熱不十分な状態で喫食することで食中毒の発生が多く、重症例及び死亡例も見られることから、当該案件は速やかなリスク評価及びリスクコミュニケーションが必要な案件と考えられ、かつ当時実施中の牛内蔵肉の汚染率と汚染濃度等に関する研究結果等によってデータ収集等が行われば、一定の定量的リスク評価が可能」と考えていたが、その時点ではリスク評価の開始には至らなかった。今回は限られた時間で、内臓肉を除く生食用牛肉に限ったリスク評価を行うことになった。
今回のリスク管理、リスク評価において考えなければならない原則がいくつかある。
1. WTO(世界貿易機関)のSPS協定(衛生植物検疫措置に関する協定)
1996年に採択されたWTO(世界貿易機関)のSPS協定(衛生植物検疫措置に関する協定)である。食品安全に関わる施策を新たに実行しようとするときは、国際的にオーソライズされた機関によって開発された手法に基づきリスク評価を行わなければならないとされている。食品安全に関し、“国際的にオーソライズされた機関”はコーデックス委員会であるので、この委員会が示す微生物リスク評価のガイドラインに従ってリスク評価を行わなければならない。
2. コーデックスのガイドライン
上述した微生物リスク評価のガイドラインのほか、コーデックス委員会では、1997年に微生物規格(Microbiological Criterion: MC)に関する一般原則、2007年には微生物学的リスク管理の原則及びそのための「数的指標(Metrics)」の導入という附属文書を示している。今回の規格基準は、これらの手順に従って検討された。特に、微生物学的リスク管理のための新たな「数的指標(Metrics)」であるFood Safety Objective(FSO)及びPerformance Objective(PO)の考え方に基づき、ICMSFのサンプリングプランのperformanceを計算するソフトをベースにしてMCを設定したことは最新の科学に基づく微生物規格として特筆すべきことと考えられる。
今回の微生物規格の評価は次の3点に沿って行われた。
1)FSOの妥当性評価
2)POの妥当性の評価
3)POを達成していることを確認するための微生物サンプリングプランの評価
1)は、生食用食肉による患者数及び死者数を年間ゼロにするための喫食時の腸管出血性大腸菌の菌数、また過去の食中毒で報告されている最小菌数での発症事例に基づき行われた。
2)では、喫食時の菌数であるFSOから処理終了時の菌数であるPOを導きだすため、この間の菌数の差1log cfu/gが汚染及び増殖の観点から妥当であるかを評価した。
3)では、25検体(1検体当たり25gの場合)以上が陰性であれば、提案されたPO が97.7%の確率で達成されることが95%の信頼性で確認できると評価した。
11月30日に開催される研修会では、上記のFSO,POとは何か、それとMCとの関連性を含め、リスク評価書を読んで理解することの助けになり、かつ今回の規格基準の設定の背景が理解できるようなプログラムを予定している。